西門慶二の競馬日記

馬が走っているギャンブルなのだから、馬と馬の関係を理解すれば馬券は当たる! このブログは「馬関係」からでも競馬予想はできる、ということを証明するためのものです。牝馬が絡んだ同路線組に注目した、いわゆる「特殊馬関係」としてのキング&クイーンの法則から、より広く「馬関係」を捉えるための新一般馬関係理論へ! 誰も手をつけなかったまったく新しい領域、まったく新しい方法論によって競馬に挑む。それが西門慶二の競馬理論です!

原点回帰の理論篇です K&Qの法則の現在!

秋競馬開幕の3日間を通じて改めて原点回帰の必要性を感じましたので、本日は基本的なことがらに触れてみたいと思います。
「キング&クイーンの法則」(以下、K&Qの法則)を予想理論の軸にして競馬というギャンブルを闘っていこうとするものです。
K&Qの法則とは、馬の能力を絶対視するのではなく、馬と馬の関係性に注目した馬券術てす。2006年初頭に「競馬王」誌上で発表され、競馬本出版の老舗、メタモル出版から入門書が07年6月に刊行されています(詳しくは同書で)。平たくいうと、馬の能力を指数化したものや、走破タイムやハロンタイムを解析した予想法、いわゆる「物差し」を使った数量的な方法論とはまったく別の方法論を採用したものです。この方法論は「メソッド」という競馬理論がパイオニアといえるものですが、K&Qの法則は牡馬と牝馬がいっしょに走る男女混合戦のレースにおいて、出走馬間の関係はどのようになっているのか、またそれらの馬たちの関係がレースにどのような影響を与えているのかを研究してきました。そして、驚くべき現象を毎週確認することになっているのです。モノサシを使わずにドレスを作って、しかもそれが身体にぴったりと合う、比喩的にいえばそのような離れ業を実現できるのが、K&Qの法則なのです。
と、久々にお決まりの口上を申し述べた上で、週刊「競馬ブック」(08.09.08号)に載った科学者たちの見解を紹介したいと思います。これは連載記事「競走馬の心技体」の特別鼎談とした企画されたもの。馬の権威、JRA競走馬総合研究所の楠瀬良博士の発言に注目してみましょう。それ自体は特に目新しいものではなく、一般にもかなり知られている知識だと思いますが、要約するとだいたい以下のようなものです。
"牡馬と牝馬を別々に飼うと、はっきりとした順位関係(序列)ができるが、馬たちを実際に走らせてみると着順は順位通りにはならない。レースの勝ち負けと社会的な順位は違う。マッチレースならその傾向があるかも?"
JRA競走馬総合研究所は胴元から金が出ている学問所ですから、これ以上の発言はなかなか難しいのでしょう。私も順位が着順とは必ずしも一致しない、というの本当だと思います。馬券者の経験からいっても。で、博士の発言のどこに私が注目したかというと、馬がレースを勝とうとするのは、訓練によるものなのか、生得的(俗にいう本能)なものなのか、を問うている点ではなくて、馬の社会的順位とレースの着順の間の乖離という点を競馬専門誌上(論文ではなく)で確認してくれていることです。これはありがたいことです。なぜなら、私のようなものが一から解き明かす手間が省けるからですwww説得力という問題もありますしねwww.
私は、この手の研究を先に進めるには、次のような方法論をとるべきではないか、と思っています。つまり、馬の社会的順位とレースの着順との間の関係を「掛け合わせる」ことによる「操作」をしてみればどうだろう、ということです。関数としては、函の中に「競馬の法則」が入っていると考えて、その函の中に「あらかじめ与えられた社会的順位」をインプット(予想)すると、変換されて、目の前のレースが着順としてアウトプットされる、ということです。順位と着順が乖離するのは、その間に変換装置(競馬の法則)があるからと考えることはできないでしょうか。
K&Qの法則の観点からすると、胴元の研究所で、牡馬と牝馬をいっしょに飼ってみて、順位がどのようになるのか、そして模擬レースの着順がどのようになるのか是非、研究してみてほしいと思います。でもそれはちょっと無理でしょう。なぜなら、サラブレッドは血統の管理をしなければいけないので、実験の間に牝馬が密かに懐胎して、血統表に乗せられない事態が起こらないとはいえないからです。それはマズいですよね。
ですから、学問的にはこの方向は決して検証されることはないと思います。でも、半野生馬や農耕馬のフィールドワークにおいては、少なくとも牡馬&牝馬混合の群れにおける社会的順位については十分にわかっていることなので、競馬における男女混合レースの馬と馬の関係については、理論モデルをつくることは可能でしょう。そして、そのモデルのひとつがK&Qの法則というわけです。
男女混合レースの理論モデルで有力なのは、一夫多妻性=ハーレム群れです。ハーレム群れは、性別の群れの直線的な順位関係ではなく、独占的な順位関係ということができます。たとえば、日曜日の札幌11R《UHB賞》は、アキノパンチという馬が他の牝馬との関係性を独占的にもっていたということはまず間違いないでしょう(いきなり生臭い現場の話になるのでいつも理論的な説得力に欠けるような気がしますが)。いろいろツッコミを入れられることは承知していますが、過去のレースでの対戦歴、トレセンパドック、返し馬、待機場、ゲート、道中、これらの場所において競走馬たちの間に、なにがしかの社会的な関係が生じていないとはいいきれないでしょう。関係性の科学やネットワーク理論でいえば、すべての馬は関係性の網目に入っていることですし。ごく控え目にいっても、アキノパンチが、他の牡馬やセン馬たちより、牝馬たちとの親和性が高かったことは確実でしょう。
先週の《セントウルS》では、過去走でいっしょに走った、いわゆる過去走の牝馬を含む男女混合の同路線グループが複数存在していました。近走だけに絞っても、2つのグループがありました。K&Qの法則は、このようなグループがゲートからゴールまでの距離を走る間に、馬たちはどのような戦略をもって走るのか、そして、それがどのような着順として表れるのか、を考える方法論であり、理論モデルです。そこで重要となってくるのが「勝者総取りの掟」と呼んでいるものです。これは複数の牝馬を含む男女混合の過去走同路線グループがあって、キングと呼ばれる中心的牡馬(ハーレム群れモデルのハーレム牡)が複数存在しているようなレースにおいて、不思議なことにただ1頭のキングが馬券圏に残り、あとのキングは馬群に沈む、このような現象をさします。不思議なことに、というのは、これは絶対そうなるからです。いわば競馬の法則における「不変量」といっていいでしょう(少なくともともに連対することはない! レースは時間の中で構成的に行われるので何らかの原因で事故が起こることはありえますがwwwそれは3次元の時空間に生きている以上、避けられないことでしょう)。なぜ、そうなるかは、実のところ、私のようなものが何をいってもしようがないので、科学者が担う仕事だとは思いますが。まあそうはいっても…誰もやらないなら、自分でやるほかはありませんね。
さて、長々と書いてきましたが、特に「勝者総取りの掟」が起こることが期待されるようなレースでは、「あらかじめ与えられた社会的順位」をインプット(予想)すると、変換されて、目の前のレースが着順としてアウトプットされる、ということがまさに起こっているわけです(私は主張する、ということですが)。そう考えると、過去の対戦成績から序列を推測するのではなく、当の過去の着順は、すでに競馬の法則の関数で変換されたものであることがいえますね。そして、その変換装置は、馬たちが自立的に、また無意識的に行動することによって形成されていうのだということも「勝者総取りの掟」が起こる理由の説明とならないでしょうか。
順位関係についての議論が一般的ですが、馬たちがレースを走るときに採用される「戦略」についての視点から考えることも重要です。競争馬がレースを勝とうとするのは、生得的なのか、訓練による学習なのか、と問うのではなく、長い競馬の歴史の中で、繰り返し繰り返しレースを走らされてきた馬が、知らず知らずのうちに採用することになったいくつかの戦略が存在するのではないでしょうか。ないはずがありません。これは人間による学習効果とはまた別の次元の問題でしょう。ですから、人間にはわからないはずなんですが、そういってしまえば、動物行動学もいらない、ということになってしまうので、ある程度は推測できると仮定するほかはありません。私は、レースにおいて、馬たちが採用する戦略の基礎にあるのは、快適に、しかも安全に走り終える、ことだと思います。快適の意味するところは、特に同性間の社会的な関係が壊れることによる無用な争いを避けることでありますし、またそのことが安全を保証してくれることにもなるのではないのでしょうか。社会的な関係を無視する、無法者なのか、パニックになっているのか、チャレンジャーなのか、騎手に強いられているのか、いろいろな要因があるとは思いますが。そのような馬が出現したときに、馬たちがとる戦略(意識的にも、無意識的にも)も存在しているはずです。そして我々のような馬券者と競走馬の生活を結びつけるのが、「進化的に安定な戦略」(ESS)というものです。ちょっと聞き慣れない用語ですが、そろそろ、序列ウンヌンを卒業して、馬券者の日常会話にも「進化的に安定な戦略」という用語を持ち込もうではありませんか。「進化的に安定な戦略」とは、別名、「打ち負かされない戦略」ともいいます。これは、ある安定した関係の中に、別の戦略をとる者が侵入したとしますが、結局、その侵入者の戦略は成功しないような安定した戦略のことをさします。ビジネスの世界でいっても、ズルをすると濡れ手に粟ですが、信用がある市場ではズルするものはいるでしょうが、一定以上の数を限度として増えないような場合を考えてみるといいですね。個々の馬は、どのような戦略を採用してもよいし、個々の騎手もまたそうするでしょうが、長い競馬の歴史の中で形成された「進化的に安定な戦略」はそう簡単には揺るぐことはないでしょう。はじめの議論に戻ると、競馬の法則=関数の函の中には「進化的に安定な戦略」という変換装置が入っているのではないでしょうか。そして、このBlogの立場からいうと、ある種の男女混合レースにおいては、K&Qの法則と名付けたような戦略が函の中身だと主張するわけです。
馬券術を実戦で使って、ギャンブルを生き抜くためには、理論的な拠り所が必要ですから、改めて「信じて買う」ために、今回のような文章を書いてみました。
ぱっと思い出せる夏・秋のK&Qの法則該当レースを挙げても《テレビユー福島賞》→《小豆島特別》→《京成杯AH》→《セントウルS》→《UHB賞》などなど、的中したレースも、人間的要素で迷って外したレースも、結局のところ、K&Qの法則の手順を素直に踏んで、信念をもって買えば、万馬券がざっくざく、だったわけで…。一日、一レースに一喜一憂するのではなく、一ヶ月、一開催、ワンシーズン単位で、粛々とK&Qの法則該当レースを買い続ければ、いったいいくらの払い戻しが…と欲望しながら馬券ライフを続けたいきたいと思います。