西門慶二の競馬日記

馬が走っているギャンブルなのだから、馬と馬の関係を理解すれば馬券は当たる! このブログは「馬関係」からでも競馬予想はできる、ということを証明するためのものです。牝馬が絡んだ同路線組に注目した、いわゆる「特殊馬関係」としてのキング&クイーンの法則から、より広く「馬関係」を捉えるための新一般馬関係理論へ! 誰も手をつけなかったまったく新しい領域、まったく新しい方法論によって競馬に挑む。それが西門慶二の競馬理論です!

JCは競馬のDNAに触れもせで極東の特異なレースで終われり

アンコイルド、ジャイアンツコーズウェイの物語が、そのまま競馬予想に直結する展開を期待していましたが、結果は超スロー、ラスト3F33秒前半の競馬、極東の軽ーい競馬という特異な一レースに終わってしまいました。
とはいえ、レース動画を見ると、馬群としてちゃんと馬たちは走っていたので、映像なしで思い浮かべていた凡戦とはまた違った印象がありました。
アンコイルド、なぜか位置取りが悪くなって、直線は抜け出す脚なく包まれて、しかし何気に最後すごい脚、不思議な競馬でした。どうやら後藤の証言によれば、1角でムーアに前に入られて、2角でも狭くなって馬がかかってしまい、直線追い出したときに反応できず進路がなかった、ということでした。
しかたがないとはいえ、後藤が挟まれるのはちょくちょく目にしたことがあります。要するにそのへんをノコノコ走っているから挟まれるのだと思います。理想の騎乗をしているつもりが、超合金ロボで一人遊びしてる幼児さながらに、周りからみればウスノロに見えるのでしょうね。
勝負はときの運ですから後藤の話は置くとして、調教師の矢作も問題がありました。騎手なんて誰でもいい、後藤でもいい、テイエムのオーナーと同じで普段からその調子ですから、本来最高峰レースであるJCに場違いなB級臭を持ち込んだ責任は矢作にあるのでしょう。
東京スポーツの虎石記者という当たりまくりの人のコラムもアンコイルド◎でした。なんでも矢作厩舎の乗り役はみんなアンコイルドはダート馬だと主張していたが、なんかいつまでも芝で好走する、調教師は困惑しつつも底が見えるまでは芝で、と考えているそうです。虎石記者のまとめは、競馬馬は不可知な可能性を持っている云々。
しかーし、今や素人でもその気になればあっという間に血統マスターになる時代なのですから、ちょっとググれば、不可知どころか、競馬のDNAに書き込まれていたのは、芝で走りまくって、競争生活の後半にアメリカのダートでも好走してその名を轟かせたという事実であると知ることができるのです。結局、知性派の記者とか調教師といっても、単にイメージだけで語っているということなんでしょうね。
結論に入りますが、もしJCが国際競争にふさわしい、それなりにタフさのあるレースとなっていたとすれば、必ずや競馬のDNAに書き込まれていたものが複製されて、必然の決着になっていたはずだと私は思っています。
今年のJCを凡戦というつもりはありませんが、極東のある特異なレースのひとつに過ぎなかったと断じるのは、上記のような考えからです。けして競馬の遺伝子に書き込まれてはいないでしょう。
これは進化論的な発想ですが、進化とは淘汰の圧力がかかったときに、起こる可能性があるものです。ギャンブルではそれを格であるとか表現するときがありますが、ダフさのないレースはその淘汰圧がかからないレースだと言ってもいいと思います。つまり格下のレースなのです。
日本競馬はどこまでも人為淘汰なのでしょう。つまり軽さが進む馬にあわせて馬場自体を軽く改造してやる。極端なたとえで言えば、日本競馬とはもはやトラックレースでさえなくて、カーリングか何かに近いものだとw 科学的には摩擦熱だけを考えてればいい、そんな競技だと。やれやれ。