西門慶二の競馬日記

馬が走っているギャンブルなのだから、馬と馬の関係を理解すれば馬券は当たる! このブログは「馬関係」からでも競馬予想はできる、ということを証明するためのものです。牝馬が絡んだ同路線組に注目した、いわゆる「特殊馬関係」としてのキング&クイーンの法則から、より広く「馬関係」を捉えるための新一般馬関係理論へ! 誰も手をつけなかったまったく新しい領域、まったく新しい方法論によって競馬に挑む。それが西門慶二の競馬理論です!

また河豚=オジヤの人が難儀なコラムを…ちょっと反応。

某夕刊紙の競馬コラムに《草原は競馬そのものだ!》という文章が載りました。
てっさ、てっちり、は、オジヤまでの前菜といった人です。
くだんのコラム、ダーウィンの進化論をシマウマの比喩で語りはじめ、弱肉強食は国家間でも同じで、でも岩田=新潟/武兄=小倉は、強者の「棲み分け」だ、というのが一連の流れです。
まあ、俗流の進化論の煮しめみたいな記事なんですけど。進化論はなかなか複雑で、議論も多い分野なので仕方ありませんが、一点に集中して反応しておきます。西門の「縄張り」のど真ん中でもあるので。
弱肉強食というのがいただけない。これは中国の成語らしいのでコラムの趣旨からいえば仕方がないのかも知れませんが、多分、ダーウィン=弱肉強食という自動反射的な理解だと思います。ダーウィン自身はそんなこといってませんね。ネットで調べると、ダーウインのいったのは「生存への努力」という感じの比喩ですね。いまでは適者生存ともいいますね。
弱肉強食の訳がどうしてマズいか、というと、強いものが勝つ、といことは、原因と結果(俗流の偶然/必然)をさすことになってしまって、淘汰(いわゆる自然選択)がもつランダムネス、偶然性、自由、無方向性が消えてしまうからです。
たとえば、種牡馬の成功は、多分、偶然ですwww
馬券の観点からいうと、弱肉強食=強いものが勝つ、では◎◎◎ぐりぐりの馬がいるレースしかあたらないでしょ? サマーなんとかシリーズがそうでしたねwww
くだんのコラムはなかなか手が込んでいて、絶妙な書き方で誤読を防いでいる点には関心しました。例の馬文化賞受賞の「エクウス」も読んでいるのでシマウマなんでしょうけど、あれは東大系なので、棲み分け、といっしょにされてもどうかな、と思うんですが、私はただの市井の読書者に過ぎないので、そんなことは関係ないんですけど…。きっと、河豚=オジヤの人は「やさぐれインテリ」なんでしょう(褒め言葉でしょうギャンブラーにいっているのだから)。でも共生とかいう言葉も入って、なかなかの煮しめ具合で違和感がありましたよ。ほとほと煮込むのが好きなんですね。生、焼いたもの、煮たもの、という料理の三角形というのも構造主義の原点ですが。俗流で通してしまうと先が細ります。競馬者は正しい進化説を身につけよう! というのが今日のblogのテーマということで。
結論、進化論を語ろうとすると、とーとーろじーになってしまうので、夕刊紙のコラムとしてはサービス満点ということでいいんじゃないか、とも思うんですが、進化ということでいうと(これは人為淘汰=家畜=皿ブレット)、フジキセキの大変身をどう説明するんでしょうか。結局、なんだかんだとやっているうちに、なんか急にG1級の馬がごろごろ出てきた、それはなんで? かはわからないが、自然淘汰=多分に偶然の要素が入って…(私見では、親子なのに違う、ということから始めたダーウインがやっぱり正しかったというのが結論)。このへんでやめておきましょう。やっぱり進化論はむつかしいや。
秋も若いフジキセキは走るでしょう。今日がそうだったように。