西門慶二の競馬日記

馬が走っているギャンブルなのだから、馬と馬の関係を理解すれば馬券は当たる! このブログは「馬関係」からでも競馬予想はできる、ということを証明するためのものです。牝馬が絡んだ同路線組に注目した、いわゆる「特殊馬関係」としてのキング&クイーンの法則から、より広く「馬関係」を捉えるための新一般馬関係理論へ! 誰も手をつけなかったまったく新しい領域、まったく新しい方法論によって競馬に挑む。それが西門慶二の競馬理論です!

日記風 競馬本に載せるつもりがカットされた文章採録です。

今年は、初の自著を出すことができた記念すべき年でした。
そこで必勝本には冗長で不要、との理由でカットされた冒頭の文章をブログに採録して、内容を補足しておきたいと思います。


「キング&クイーンの法則」      西門慶二著
《はじめに》
■マル混を狙い撃て!■
マル混を狙い撃て! これが本書のテーマだ。
マル混とは、いうまでもなく牡馬・牝馬の混合戦のこと。簡単にいうと男女混合レースである。
なぜマル混なのか?
これまでなぜか見逃されてきた、しかしひとたび気づいてしまうと、あまりにも、あまりにも“怪しい“ヒントが、勝利への手がかりがそこには用意されているからだ。
考えてみてほしい。とかくこの世は、家庭、学校、企業社会等、いずれを例にとっても、男だけで構成されているものと、男女が同居しているそれとでは、雰囲気もマナーもノリもまったく違ったものであるはずだ。
たとえば、昭和を生き抜いてきた読者なら、かの松田聖子がデビュー当時に”ぶりっこ”(可愛い子ぶっている子という意味です、平成生まれのみなさん)と後ろ指をさされていたことを記憶しているだろう。"ぶりっこ"は男の子を前にしたときに発動される女の子の「戦略的態度選択」であるが、この態度の使い分けをムカつくと非難したのは同性の側、つまり、女の子だけで構成されている集団だった--別にパドックで"ぶりっこ"している牝馬を見つけよう、なんて荒唐無稽な努力をすすめているわけではなく、男と女が出逢うとき、そこには同性同士でいるときには起きないような何かが起きる、ということをいいたいがための《松田聖子メモリアル》なのはわかりますね〜。
誰もが経験的に知っているその事実を、ウマの"社会"にあてはめてみればどうだろう。つまり、競馬というゲームにおいて、牡馬と牝馬が「出逢うとき」というシチュエーションを考えてみるのである。
それはマル混戦のほかにない。
牡馬・牝馬混合戦と牡馬/牝馬限定戦とでは、まったく(ウマたちの間で)別のルールが採用されている可能性があるとすればどうだろう。人間界との比較からしてもそれは大いにありうるように思われる。
出発点はここにある。
マル混戦における競馬の「隠されたルール」を明らかにすれば、競馬の謎がまたひとつ解けるわけだし、それが競馬に勝つための有力な武器になりはしないだろうか? でもどうやって? 果たしてそれは可能だろうか?
これらの疑問に答えを出すのが「キング&クイーンの法則」なのである、といっておこう。
本書を上梓したのは、この自然法則を競馬予想に生かす術を、誰でも使いこなせる簡単な手順にして紹介するためなのだ。
ここで是非いっておきたいのは、マル混専用の馬券術だというと、用途が限定されてしまう、との印象をもたれるかも知れないが、その指摘はあたっていない、ということである。
「キング&クイーンの法則」は、基本的にレースの施行条件を問わない。
つまり、ダート、芝、距離/コース、クラス等の選り好みしない。ただ、それが男女混合戦固有のルールで戦われるレースでありさえすれば。
これって結構大胆な発言だと思う。
なぜなら、たとえば中山の内回り芝1800mなんていう、特定の条件に限定して(テクニックのレベルで)競馬を考える必要がまるでない、といっているのだから。もし、それが公正競馬であれば、世界のどの国の競馬をやるにしても同じこと。自然法則とは本来そのようでなくてはおかしいではないか。
それに、時代はどんどんマル混戦に向かって進んでいるのだ!
JRAに限っても、マル混戦は下級条件からメインレースまで一日に何鞍も用意されている。そればかりか《有馬記念》《宝塚記念》などのグランプリ、《天皇賞》《安田記念》《ジャパンカップ》《フェブラリーs》などの古馬の最高峰レースもマル混戦なのだ! G1《NHK杯マイルC》などのクラシック路線でさえ、近年では牝馬の果敢な挑戦で男女混合レースとなっている。そういえば《凱旋門賞》も実はマル混です〜。さらに牝馬に適性がある馬が多い短距離路線にいたっては、《スプリンターズS》《高松宮記念》から500万条件ハンデ戦まで、ほとんどすべてが男女混合レースとなっている。
マル混戦を勝負レースとする「キング&クイーンの法則」を知れば、あなたの競馬ライフは劇的に変わるはずだ。
本書に掲載したサンプルレースは、原則として最新のもの(07,1〜4月)から、できるだけ典型的な「キング&クイーンの法則」による決着をみたものを選んである。また、できるだけ高額払い戻しになっているレースに絞り、読者の馬券的欲望を刺激することにつとめたつもりだ。歴代のJRA歴代高額配当記録をもっているレースに限り、 07年以外のレースをサンプルとして使用した。それが「キング&クイーンの法則」の該当レースであるのはいうまでもない。

………………………序章1………………………………………………………
■競馬というゲームを「かけっこ」の比喩で語ってみよう■
競馬というゲームを「かけっこ」の比喩で語るとすればどうだろう。
あなたがまだほんのお子様だったころのかけっこのイメージでである。
近所のガキどもが自己の存在証明を賭けて対決するのがかけっこの定義だ。
いささか、大げさなものいいだが、「他ならぬこのボクチン」が、みんなを置き去りにして先頭を切って走り抜ける、これは子どもにとってとてつもなく大きな意味をもっていたりするのではないか。「一番〜!」 。たとえ単なる願望、妄想のなせる業としたところで、そこにはきっと素晴らしい光景が広がっていることだろう。
みんなより足が速い少年、この栄誉に、さらに次のような条件を付け加えてみるとどうだろう。もちろんバトルフィールドは夕陽に照らされた広場である。
密かに思いを寄せる女の子の前で近所のガキどもとかけっこをして、一番でゴール! 
つまり、ガキどもとのかけっこに、女の子、という新たな条件が付け加わったのである。
うん? 何んだろう。この喜びは。今までに感じたことがないような快感が。
そして翌日、また広場に集まったガギども。そこへ、気になるあの娘がまたやってくる。
昨日、この娘の目の前で、他のヤツより速く走ったオレってヤツは、オレってヤツは、まったく「イカスぜ」(もう舞台設定から台詞まで昭和の香り満載ですいません、夕陽に照らされた広場で「イカス」って…)。
少年時代に芽生えた「ヒーローになりた〜い」という思いは、その後も生き続ける。走りがダメでも高校野球があるじゃないか! とか何とかいって…。そして大人になり様々な奮闘努力の果てに、気が付くとなぜかそこは競馬場、もしくは場外馬券売場だったりしたりしないか。これも男の一生のまた典型的なひとコマではないだろうか。
別に無理にこじつけを図らなくとも、たまたま知り合ったりするギャンブル狂が、実は元高校球児だったという話はそこら中に転がっているはずだ、本書を手にしているあなたの経験においても。ひょっとするとそこのあなた自身がもそうなのかも知れないが。人は何かアツいものが胸のうちに燃えていないと生きていけないものなのだ。
だが、年齢を重ねるつれて、気になるあの娘の前でかけっこで一番! というシチュエーションはどんどん縁遠くなっていく…。
でも、アツくなりたい。
そんな心の渇きを抱えて、ある種の人々は穴場にたどりつくのかも知れない。そこは「万馬券は愛の代用品である」などと、意味不明な、だが気持ちだけは何とか汲んであげたいような独言がふと唇から漏れ出してきたりする場所である。勝馬投票券に込められた熱い想いが感じられる場所。
こうなればもはや「競馬はロマンだ」で済ますわけにはいかない。的中あるのみ。心の中のアルプススタンド(甲子園球場の比喩ですよ〜)に向かってガッツホーズ、ヒーローを目指さなければ男じゃない、とばかりに。
見方をかえると、要するに胴元から見れば、典型的なカモの誕生ということでもある…。
「なぜだ〜なぜなんだ〜」、ひとはこうして競馬の謎に翻弄されてゆく。「ギャンブルとはしょせんこういうものなんだ」と達観してしまう前に、西門慶二の話を聞いてもらいたい。
あなたがギャンブル(競馬)に魅せられてしまう理由が、ヒーロー願望を満たしたい(これをいいたかったための長い前振りですよ〜)というあたりにあったとして、もしあなたの命運を握っている当の競走馬たちも同じような理由で走っているとすればどうだろう。馬もまた「ヒーローになりたい」と叫びながら走っているとすれば…。
強いヤツが牝馬を独占してしまう、これが馬の社会だ、っていうことを聞いたことがあるだろうか。それも一夫多妻制だ。たった1頭のオスがメスたちを独り占めしてしまう世界に生きているのだ、馬は!
それがホースネイチャーの真実ではないのか。
ウマたちの世界は「あの娘の前で、あの野郎に勝つ! しかもぶっちぎりで!」というアツい掟で動いている可能性が高いとすれば…もし、そうだとすれば、あるレースの中で「ヒーローになりたい」と欲望している一頭の馬の行動パターンなら、あなたはほとんど手にとるようにわかるのではないだろうか。なぜならそいつは自分とそっくりなのだから。
ここまでくれば、「キング&クイーンの法則」がなぜ、競馬はマル混=牡馬・牝馬混合戦を狙い撃て! と主張しているのかがおわかりいただけると思う。馬にとってはマル混であることがむしろ自然なのではないのか? といいたいわけだ。
競馬をかけっこ、つまり人間の陸上競技的なイメージでとらえることには功罪があると感じないでもないが、「キング&クイーンの法則」を解説するにあたっては、いつもこのかけっこの比喩を使うことにしている。「自分とそっくりな馬」にアツく賭けて勝つ! これほど素晴らしい的中はおそらく考えられないのでは? と思うからだ。勝利の方程式は簡潔で美しいことが大切だが、そこにアツい、という要素が入ると〜やっぱりギャンブルはそうでなくっちゃ!
……………………………序章2…………………………………………………
■めちゃくちゃ簡単な必勝法&どこまでも深く分け入る競馬理論の森
冒頭で、ぶりっこ&かけっこの比喩で語ったように、「キング&クイーンの法則」とは、マル混、つまり牡・牝混合戦(=男女混合レース)専門の馬券術という他に類をみない競馬理論である。
最大の特徴をあげるなら、コース/距離、芝・ダなどの条件を問わず、同じようなメカニズムにおいて炸裂する、という点にある。もしそれが男女混合レースでさえあれば。理論的には、それらのいわば物理的な条件を超えているとともに、まったく異なった施行条件のレースの、異なった出走馬によるレースにおいても、同じようなメカニズムによる決着が期待できる、といっておこう。
《マル混こそ、競走馬の隠された真実が着順としての結果を導き出すのではないだろうか?》
このように問うことがすべての出発点となる。
同性同士の孤立した世界と、男女が交じり合う世界では、定められているそのルールそのものが根本的に異なるのは、ヒトもウマも同じであることに思いをめぐらせるなら、少なくともそこには「何かがある」と考えた方が自然だろう。
「キング&クイーンの法則」では、個々の馬たちの力関係にだけ囚われていたなら見えてこない、人間関係ならぬ「うまカンケイ」にこそ注目する。
とはいえ、馬と馬の関係、といっても関係そのものは目に見えないものだし、まして相手は馬である。
「ちょっとアンタたちど〜ゆ〜関係なのよ」と問い詰めてみたところで答えてくれるわけではない。
人間だって「私たちおつき合いさせてもらってます」などと白状する正直者ばかりではないのだから、これは単純に言語能力の問題でもない。
が、一応、我々は「馬と馬の関係を書き出した一覧表」を手に入れることができる。それが、我々が毎週格闘している馬柱である。これとてただ漠然と眺めているだけでは何のことかわからないだろう。なぜなら、フツーに行われている予想法では、個々の馬を孤立してとらえるやり方(スピード、能力その他を指数化したところで)では、「馬と馬の関係」なんていうものはまったく考慮されていないも同然なのだから。
いっそ、このように考えた方がよいかも知れない。
馬柱とは、馬と馬の関係が「暗号」によって隠されているものだということもできるのではないか、と。
「暗号」とはまたやっかいですね〜だが、もしそれが暗号でありさえすれば、いやもっといえば、(競馬の)真実が暗号化されているなら、「解読コード」を見つけ出すことができるかも知れない。それが見つかりさえすれば、馬と馬の関係は問題なく読めるということになるわけだ。
「キング&クイーンの法則」 は、いわば馬と馬の関係を浮き彫りにするためのツール、暗号の解読コードであると考えてもらえればよいと思う。
と、こう書くとなんだが難解な印象を与えてしまうかも知れないが、「キング&クイーンの法則」の馬券術としての手順は驚くほど簡単な仕様となっているので、この点でもご心配には及びませんよ〜。
必勝法としての爆発力と、馬と馬の関係=「うまカンケイ」の森をどこまでも深く分け入っていく馬券理論の両面を兼ね備えていてこそ、競馬という謎に立ち向かうツールとしてよりベターなはずだ。本書で紹介するのは、まず目の前の「勝負レースに勝つ」ための手順を、できるだけ簡潔にまとめた「必勝法」の部分である。
しつこいようだが「キング&クイーンの法則」の馬券術しての手順は、驚くほど簡単なのだ。
面倒なデータ収集などの日常作業は必要条件ではない。
かりに海外の競馬に挑まなければならないとして、日本の競馬新聞のような充実した馬柱が手に入らなくても、出走馬の性別と近走の対戦関係という、ありふれた、データともいえないようなものさえ手元にあれば、誰でもすぐに実践することができる。もし、目の前のレースが「男女混合レース」でさえあれば、そのうちのいくつかは勝負レースとなるだろう。
……………………………序章3…………………………………………………
■暗号化された「うまカンケイ」とその解読コードとはどのようなものなのか■
《近走いっしょに走っていた牡馬と牝馬が再び出逢うとき、レースはすでに彼らに支配されている》
これは『競馬王』(白夜書房)という雑誌に「キング&クイーンの法則」を初公開するにあたって、同誌の編集部が考えてくれたキャッチコピーである。「支配」という言葉にはいささか抵抗を感じないでもないが、なかなかいいえて妙なので、折に触れて引用させてもらっている。
その通りだ。マル混戦では、そのような特別の関係にある男女を中心にして世界は回っていくのだ、というのが「キング&クイーンの法則」の立場なのだ。
マル混戦における「隠された真実=ルール」を浮き彫りにする、そのような馬と馬の関係とは具体的にいうとどういうものなのだろうか。
「キング&クイーンの法則」では、それを次のような関係のタイプに求めている。
《過去走で、同じレースを走っていた牡馬と牝馬が今走も再びいっしょに走るとき、その同路線グループの中で最先着している牡馬が激走する》
これを馬券術としての基本的な考え方に翻訳すると…
《牡馬牝馬混合戦において、できるだけ直近の同路線組の中で牝馬といっしょに走り、他の牡馬に最先着している牡馬が、今走も同じ牝馬と走ることにより、まるで王者のような走りを見せる、この現象を理論化したものが「キング&クイーンの法則」である。牝馬が絡んでいる同路線組のことを「うまカンケイ」と呼ぶ。ひとことでいうと「男と女」の馬券術である(セん馬も忘れないでね〜)》
…となる。
馬と馬の関係性の中に牝馬が絡んでいるものを「うまカンケイ」と名付けているが、これは牡馬だけで構成されている関係と区別するために特にそう呼んでいるのだ。つまり、牝馬が絡んでいる馬と馬の関係は「うまカンケイ」が「ある」とし、牡馬だけの関係には「うまカンケイ」が「ない」というわけである。
大切なのは、牝馬が絡んでいる関係なのだ。
だからマル混のレースにおいて、過去走の同路線グループが牡馬だけで構成されているものは基本的に重視しない。男ばかりの前走グループで出来上がった力関係についても同様だ。「うまカンケイ」が「ない」ものは考慮しなくてよい、としているから、出走馬間の関係はずいぶんすっきりとしたものになるはずだ。
簡単なものを説明するのは難しく、難解なものを簡単な手順に仕立てるのもまた骨の折れる作業だ。
関係というものを文章にして出すと、このようにけっこうな分量がいるし、極めて煩雑、という印象を与えてしまうかも知れないが、実際のレースにおいて、馬柱から同じような「うまカンケイ」を見つけ出すことは、そんなに難しいことではないし、また時間もそうかからないだろう。
過去の対戦関係を見るだけなら、いつもフツーの予想過程として慣れ親しんでいる方法なのだから。ただ、そこにはマル混という視点と、過去走の同路線グループを牝馬が絡んだ関係としてとらえる視点がまったく欠けているのだが…。
では、そうして見つけ出した「うまカンケイ」を競馬予想にどのように生かしていけばいいのかについて書こう。
《主として前走、できるだけ直近の同路線グループの中から、今回も再び出走してきる牝馬を見つけ、そのレースにおいて、他の牡馬に先着している牡馬を探し、その馬をキングと呼んで3連式馬券の軸馬候補として馬券を組み立てていく》
ほぼ、この文章に「キング&クイーンの法則」の奥義は尽くされている。
ここで初めてキングという名が出てきた。
軸馬候補となるキングのほか、主要な馬券対象となるクイーン、「キング&クイーンの法則」のキー概念となる「勝者総取り」という現象、謎の激走ホース(D)について知ってもらわなければならない。
これらについて章を追って詳しく解説していくことになるわけだが、基本はすべて「うまカンケイ」を暗号の解読コードとして使うという点にある。競走馬の隠された真実が着順としての結果を導き出す、その暗号を解くのである。
各論に入る前に「キング&クイーンの法則」を馬券術としてマニュアル化したものを以下に載せておく。
マニュアルだから、パソコンや炊飯器のそれと同じように無味乾燥としたものになっているのは仕方がない。各章でその都度、採録してあるので、とばして先に進んでもらってもいいし、折り触れてまたここに戻ってきてもらってもいい。
基本を常に反復しながら解説してあるので、ゆっくりとマル混の世界に慣れていってもらえればいいだろう。
それでは「キング&クイーンの法則」にGO! だ。

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